●火星はどんな星
火星は、地球の半分より少し大きい程度の直径の、小さな星です。質量は10分の1しかない軽い星で、軽いと言うことは、ものを引きつける力=重力も、地球の5分の3、38%しかありません。
ですから、火星で体重計に乗ると、50kgの人はたった19kgにしかならない、といいますから、ダイエットの必要のない天国のような国、というのは言い過ぎですね。
しかし、火星の空気は、非常に薄いのです。天気予報でもお馴染み名の、ヘクトパスカルという単位でいうと、火星の気圧は6ヘクトパスカル。地球の気圧が、高気圧におおわれたときで、千数十ヘクトパスカル、台風になると9百数十ヘクトパスカルですので、空気は地球の約150分の以下、しかも酸素という私たちにとって必要なものはまったくないと言って良いくらいしかありません。
また、気温も、一番温かいときで0度をちょっと上回るかどうか、という寒いところです。平均気温マイナス55度、冬の北極でマイナス133度、真昼の赤道27度という、かなり温度差の激しい星です。
また、なぜか、強い風が吹きあれることがあって、地球からも観測されるような、砂嵐が起こることもあります。1973年に火星の全面を覆った大砂嵐が観測されました。
このように、地球と似ていない点はいっぱいあるのですが、地球と似ているところも結構あります。
まず、一日の長さは、地球が23時間57分、火星は24時間37分。地球よりも40分長いだけですね。また、自転軸の傾きは地球が23.4度、火星が25.2度、ですので、火星にも、春夏秋冬という季節の変化が起こり、1日の長さも同じということで、地球人の生活感覚にあった星ということが言えるかもしれません。
しかも、水分もわずかながらあります。時々、空気の中にわずかに含まれる水蒸気が、氷の粒からできた雲を、時々つくることもあるそうです。
火星についてもっと知りたい方のために
ナインプラネッツ 火星
Mars
Introduction (英語)
●火星観測の歴史
それでは、次に、これまで火星をどのように観測してきたのか、研究してきたのかという歴史を見てみることにします。
火星や他の惑星をくわしく観測され始めたのは、もちろん、天体望遠鏡が発明されてからということになりますが、望遠鏡をつかってはじめて星の観測を行ったのは、イタリアの有名な天文学者・ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)でした。1609年に望遠鏡を発明したガリレオは、1610年には自作の望遠鏡で、火星を観測しました。このとき、木星には4つの衛星があって、それらが木星のまわりをまわっていることを発見し、後に地動説の有力な証拠となりました。そのほかにも、太陽の黒点や、天の川すなわち銀河がたくさんの星の集まりであることなどたくさんの発見をしました
火星は、というと、ガリレオのそのもう少し後の人に、ホイヘンス(1629〜95)という人がよく観察しています。ホイヘンスは、天体望遠鏡の改良にとり組み、光の性質についてもくわしく研究し、今でも「ホイヘンスの原理」というと高校の物理の教科書にも登場する人です。彼は、火星やそのほかのの惑星の観測を行い、土星の輪をはじめて発見しました。ホイヘンスは、はじめて本格的なスケッチを行い、1659年、こんなスケッチをとっています。ラフスケッチですが、黒い三角形の模様がありますね。これは現在では大シルチスとよばれている模様で、小さな望遠鏡でも、よくみえます。
いずれにしても、100年ぐらい前までは、観測というと人工衛星はないし、また写真撮影もまだフィルムの性能の関係で惑星の細かな模様まで写し取れないので、人間が目で見て、見たとおりの様子を紙にスケッチする、という方法がとられていました。もちろん、今でも熱心な惑星観測家は、望遠鏡をのぞいて見えたとおりにスケッチする、という方法で火星や、木星、土星などの惑星の模様を観測しています
●スキャパレリ「カナリ」
さて、近代になって、1877年に約5600kmまで近づくという見事な大接近がありました。この年、火星をくわしく観測した人に、ミラノの天文台長ジョバンニ・スキャパレリがいます。スキャパレリは、夏のペルセウス座流星群の流れ星が、スイフト・タットル彗星の軌道と同じことを発見し、流星群と彗星のとを同定した方です。また、小惑星も発見しています。
彼は、火星をくわしく観測し、スケッチしました。それには細い筋が描き込まれていたが、彼自身はそれを「カナリ」、イタリア語で「溝」という意味の「カナリ」と呼びました。
彼自身は、「溝」のように見えたから「溝」と記録したのでしょうが、それが後になって、大騒動に発展していきます。
●「カナル」から「運河」、そして火星人
イタリア語の「カナリ」に相当する英語は、「カナル(キャナル)」。似ていますが、英語になると、ただの「溝」という意味だけでなく、「運河」という意味も加わります。運河というのは、米や麦などをつくるために、遠くから水を引っ張ってくる人間がつくった川ですね。 そこから、「火星には運河がある」、「運河を造れるくらいであるから、火星には、火星人がいる」という話が出てきたわけです。
●パーシバル・ローウェル
このような騒ぎを聞いて、アメリカの大富豪パーシバル・ローウェル(1855-1916)は、私財をなげうって、1894年にアリゾナの砂漠の中、標高2200mの空気の澄んだところに、60cm屈折望遠鏡が入った大きな天文台を建てました。ローエルは外交官で、1877年から1893年まで日本に滞在し、1889年5月には能登半島を旅行したり、神戸で外交の仕事をしたこともあるそうです。彼は、この大きな望遠鏡で、火星観測に没頭しました。ローウェルは、1903年に暗い「海」のような部分と、その海をつなぐ筋、つまり「運河」を数多く、スケッチに書き込みました。そして、彼は、今では死んでしまったかもしれないが、昔の火星には、運河をつくるほどの高度な知能をもった「火星人」がいたに違いない、真剣に考えました。(ローウェルのスケッチ)
余談になりますが、ローエルは火星人のほかにも、太陽系で一番外側をまわる惑星「冥王星」の存在を最初に予言した人です。結局、運河や火星人は見つけられませんでしたが、同じくローエル天文台のトンボーが、ローエルがなくなった14年後の1930年に、この冥王星を発見しています。
さて、運河論争の行方ですが、ローエルと同じ頃、フランスでも熱心に火星観測をつづけた人たちもいました。彼らは運河のようなものは全然見えない、運河なんてないときっぱり言っています。いろんな人がとったスケッチを見ると、同じ火星なのにずいぶん見え方が違います。
また、1909年には、アメリカのヤーキス天文台の40インチ屈折望遠鏡で撮影された写真には、どこにも運河らしいものが写っていません。写真の出現は、ローエルの説に対する否定的な証拠になりました。
しかし、多くの人は、「火星には運河がある」、「運河を造れるくらいであるから、火星には、火星人がいる」ということを信じ、または期待し、火星人を題材としたSF小説も発表されました。普通の人々も、火星人って本当にいるのかもしれない、と思うようになっていったのです。1938年には、オーソン・ウェルズが火星人襲来をテーマにしたラジオドラマを放送したところ、それが実に生々しくて、アメリカ中がパニックになった、という事件も有名です。
私も小学校の時に読んだ「宇宙」という図鑑に「火星人の想像図」を見て、火星には生命がいると信じたひとりです。火星には、空気が少ないだろうから肺の大きくて、しかも重力も地球の分の1だから、骨がしっかりしていなくてタコのような動物であろう、とかいう説明が書かれてあったのを思えておます。
●宇宙開発時代
その後、1951年に、旧ソ連がはじめての人工衛星スプートニクを打ち上げました。宇宙開発時代の到来です。そして、宇宙から宇宙を観測するという時代がやってきました。
運河論争が決着したのは、ローウェルの死後、55年目1965年にアメリカが打ち上げた火星探査機マリナー4号が撮した、火星写真でした。これには、どこにも運河のようなものは写っていなかったのです
また、その後、マリナー6号、7号、そして9号が、火星の表面のくわしい写真を撮影し、また大気観測などをくり返し、火星には、地球の100分の1しか空気がないこと、また生き物にといって大切な酸素がほとんどないといっていいほど少ないことなどを明らかにします。
マリナー9号は火星を周回する軌道に入り、長い間情報を送り続けました。太陽系最大の火山オリンポス山や、日本海溝のような深い溝・マリネリス渓谷の写真が鮮明に写されまた、火星には水の流れたあとがあり、古代には火星には海があったと推定されました。そこで、水があれば、火星人はいなくても、微生物ならいるかもしれないと言う考えが出てきました。
1975年になると、NASAのバイキング1号と2号が打ち上げられ、1年近い飛行のあとで火星表面に着陸することに成功しました。火星表面は砂漠のような赤茶けた大地が広がっていました。火星の表面が赤いのは、表面が酸化鉄に覆われているためです。
また、生物の存在を確認するために砂をカプセルに入れて実験がおこわれましたが、微生物すら発見できませんでした。着陸船に取りつけたテレビカメラにも生物らしいものは映し出されず、火星に生物が存在する可能性は低いと、みながっかりしたのです。
しかし、バイキングは、火星のシドニア地方で、人面魚ならぬ、「人面岩」と呼ばれる地形の写真を撮影しました。光と影の関係で人の顔に見える山で、火星にピラミッドがあるとか、火星の超古代文明人が建造したとかUFOとの関連でずいぶん話題になりましたね。
火星には、もうひとつ顔のようなクレーターがあります。1976年に火星をまわる軌道にはいったバイキング1号が撮った写真で、海王星を発見したガレという人にちなんで、「ガレ・クレーター」とよばれています。幸せそうな顔で、「ハッピー・フェイス・クレーター」とよばれています。これは、小惑星が衝突してできたクレーターです。
1996年8月、NASAは大変な発表を行いました。1984年に南極で拾われていた隕石・AL(アランヒルズ)84001に、微生物の痕跡を見つけた、という発表でした。
そして、1997年になってマーズ・パスファインダーという探査機が打ち上げられました。ソジャーナという小型の車(ローバー)が積み込まれて、火星の表面を動き回りました。
1997年は、マーズグローバルサーベイヤーが打ち上げられ、現在も火星の磁気や重力、表面の温度などについて、火星の広い範囲を観測しています。今後も火星の詳細なデータを送信してくるものと期待されています。(マーズグローバルサーベイヤー画像集)。
今後の探査計画としては、アメリカが、今年2001年4月に火星に探査機「2001マーズ・オディッセイ」を送っており、10月には火星に到着する予定です。2004年までに、あと数機の火星探査がアメリカ・ヨーロッパで計画されています。
21世紀、もしかすると、21世紀の早い時期に、この火星に地球以外の生命がはじめて見つかるかもしれません。天文学者の中には、この宇宙の中、地球以外の星にも生命がいるのは、当たり前すぎることだと言う人もいますが、やはり見つからないことには、信じられませんね。早く、その日がやってくるのを、楽しみにしていきたいと思います。
●火星を観測しよう
望遠鏡が必要ですが、5〜6cmの望遠鏡でも、濃い模様であれば見えます。大シルチスや、サバ人の湾・子午線の湾などの黒い模様、ヘラス大陸など明るい部分などは、よく見えます。
見える、といっても、詳しく見るにははじめての人には難しいかもしれません。初めてみたときは、「なんだ、こんなものか、これぐらいしか見えないのか、あぁあ、何万円もする望遠鏡買って失敗した」とがっかりしてしまうものですが、どうぞがっかりしないで下さい。
|
左:筆者の最初のスケッチ(1982年) |
観測をしていくと、模様を見るのにだんだん慣れてくるのです。この「見慣れる」というのが、惑星のような細かい模様を見るのに、非常に大切なことで、何回も何回も見てほしいと思います。
|
|
筆者:1988年のスケッチより |
|
そこで、よく見るコツなんですが、
・はじめは、倍率を少し落として。このとき、模様はあまりよく見えません。でも、火星の明るいところと、暗いところのまだら模様はわかるでしょう。
・倍率を、少しずつ上げていきます。次第に、よく見えてくるでしょう。
・どんどん倍率をあげ、うわあ、これじゃボヨボヨして、よく見えない、というところまであげます。そうです。倍率のあげすぎは、良くありません。かえって見えなくなってしまうんです。
・そこで、一番よく見えた倍率まで戻って、その倍率でじっくり眺めるのです。
見慣れていくのは、やはりスケッチがお勧めです。スケッチのとり方をご紹介しましょう。
1.まず、あらかじめ、丸い円を書いたケント紙を用意しましょう。
2.鉛筆は、柔らかいもの。Bとか2B、6Bなんというものを使います。よく消える消しゴムも用意しましよう。また、まぶしくないように、小さな懐中電灯に赤セロファンや、赤いハンカチを巻き付けたものも必需品です。
3.一番よく見えた倍率で、さらにじっと眺めます。
4.濃い部分や、はっきりしている大きな模様から書き始めます。大きな模様を、ある程度書いたら、観測日時を分単位まで記入しておきます。
5.鉛筆は、軽く持ってください。強く書かないでください。濃い部分から淡い部分、大きな模様から細かな模様の順に書いていくのです。ヘラス大地や極冠など、明るく輝いているところは、何も書いてはいけません。白く残していくことによって、輝いていることを表現するのですから。
6.それから、大切なのは、見えないものは書かない。これは鉄則です。
7.最後に、ティッシュなど柔らかい紙を細くこよったもので、淡い部分を軽くボカします。これで完成です。
|