岩出山の天文暦学者 |
名取春仲先生は、宝暦(ほうりゃく)九年、 |
二十歳頃に、浪士・橋元治正
(はしもとはるまさ)について、 天文道(てんもんどう)を 学び始めました。 それから十数年後、 寛政(かんせい)五年。 渋川春海大先生から伝わる 秘伝書を持っていた、 |
桜田利慶(さくらだとしのぶ)先生の弟子となり、 免許をもらい、渋川大先生の秘伝書も継承しました。 春仲は、この頃より門人を取り始めました。 でも、橋元・桜田先生が天文学に詳しくなかったことから、 寛政八年〜十二年頃にかけて、 仙台藩の暦学者・藤広則(ふじひろのり)の弟子となり、 貞享暦(じょうきょうれき)、宝暦暦(ほうりゃくれき)、 西洋暦などを学びました。 その後、藤先生の勧めで、土御門家の門人となった春仲は、 多くの人々に天文道や天文学を教え、 次々に土御門家の門人に推挙していきました。 この功績が認められ、土御門家より「天文生(てんもんしょう)」の称号を与えられ、 家司(貴族の家に仕える役人)並みの待遇を受けることになったのです。 文政11年、土御門家に招かれた春仲先生は、 |
渋川春海先生の秘伝である
「三天・九道・北辰の秘訣」を 講義しました。 一商人に過ぎなかった春仲先生が、 天文の宗家・土御門家の補佐役という 大役を勤め上げた 象徴的な出来事だといえます。 |